2022年1月10日(月)
先日引っ越したばかりの八ヶ岳の見える
川のほとりの家に、もう戻ることができない。
釣ったヤマベを食べるつものであったが、
そのやや腐敗した匂いだけが部屋の隅の
ゴミ袋の中から鼻先へと運ばれる。
本を読まなくてはという思いがわく。
本を読むときの態勢は、どのようにすればいいか
わからない。
1月11日(火)
ポップコーンを食べながら小津安二郎監督の
『東京物語』を見る。
最後の絵が落下する。
少し上に持ち上げて
横にする。
1月12日(水)
台所の引き出しに、コンビニの箸が大量に溜まってしまった。
他のものを取り出す際に支障をきたすのでどうにかしたい。
形状など仔細に眺めるが、先のテーパーのついている部分にくせがあって、
なにかに転用するアイデアもわかない。
とすれば。箸として使ってすぐに捨てるしかない。
竹製である程度長く使えるので、これまでは一膳を洗って何か月も使っていたのだが、
その使い方では今後も溜まる一方。
店では箸はもらわないようにしているけれども、
いつも必ず「いらない」と声をかけられるわけではなく、
帰宅して袋を開けると入っていることがある。
ジャン゠リュック・ゴダール監督の『気狂いピエロ』を見る。
1月13日(木)
パンを食べ、
アイスを食べて、
仕事する。
買い物に行き、
鶏ササミ買う。
夜はカレー。
スタンリー・キューブリック監督の
『2001年宇宙の旅』を見る。
1月14日(金)
川の水の中に立ち、犬が四本の脚を半分ほど水につけている場面を見ている夢を見る。
歯科の定期検診。ポイント3倍の日に買い物して帰宅。
深夜、ポップコーンを食べながらアンドレイ・タルコフスキー監督の
『ストーカー』を見る。
映画の一コマに、今日見た夢とほぼ同じ場面が映される。
きのうの夜の段階で、今日この映画を見ることは決定していた。
考えられることは3つ。
・映画というものは集合的無意識野に保存されている
・約30年前にほとんど眠りながら見て覚えてはいない脳内の記憶が夢に出た
・偶然
きのう見た『2001年宇宙の旅』でも不思議に思うことはあった。
『2001年宇宙の旅』は本来1月12日に見るはずであったが、
寝る時間もせまっているしちょっと長いと思い次の日にした。
見ている最中、1月12日は劇中に登場するコンピュータHALの誕生日であることを知る。
『2001年宇宙の旅』は約40年前に部分的に見て、以来内容を忘れていた映画。
実際に見たのは13日であるし、確率は366分の1でそれほど稀でもなく、
きのうはただの偶然と考えていた。
このところ見る映画に「真理」という語が頻出することも気がかりになっている。
1月15日(土)
高田馬場へ。
プネウマカレーで食事しようと店の前で。
財布を持たないで外出したことを知りとぼとぼ歩き始める。
Alt_Mediumにて
篠田優写真展 on the record|海をめぐって
を見る。
夜、ジョン・カサヴェテス監督の
『オープニング・ナイト』を見る。
クラシック音楽の批評サイト『Mercure des Arts』Vol.76(2022年1月15日号)に、
平田星司展「線の手触り 崩れゆく風景」
を見て記した文章が掲載。
http://mercuredesarts.com/2022/01/14/hirata_seiji_solo_exhibition-kotomiz/
1月16日(日)
夕方、図書館まで歩く。CDの返却と貸出。
朝方映画を見て寝る。